日々の過ごし方が大きく変わり、様々な制約の中、心の疲労や不安感に悩まされることは少なくありません。
そんな今の私たちの心に寄り添う作品のひとつ、スペインを代表する詩人ヒメネスの詩集「プラテーロとわたし」の世界を、文学、音楽、美術の異なる芸術分野からアプローチするシリーズ企画です。
この作品に魅せられた研究者・アーティスト4名とともに、詩、音楽、絵を通して、四季の移ろいや心の揺らぎをゆっくりと感じてみませんか。
フアン・ラモン・ヒメネス(Juan Ramón Jiménez)(1881 – 1958)は、スペイン近代文学を代表する詩人のひとり。アンダルシア地方のウエルバ県モゲールに生まれ、大学で法律を学ぶが、詩に傾倒してマドリードに赴き、モデルニスモ文学を代表する詩人ルベン・ダリオと出会う。父の急死をきっかけに精神に不調をきたしフランスで療養、その後モゲールへ戻る。故郷で療養をしていたこのときの経験を元に「プラテーロとわたし」を制作、発表。彼の代表作となる。1936年のスペイン内乱を逃れキューバ、アメリカなどを転々とし、その後プエルトリコに定住する。1956年、ノーベル文学賞受賞の知らせを受けたのは病床に伏す妻セノビアの死の三日前だった。
こころの療養のため故郷で過ごす詩人。感じ、悩み、悲しみ、笑い、穏やかに過ごす彼の傍らには、いつでも銀色のロバ、プラテーロがいる。季節とともに移り変わるモゲール村の自然やさまざまな動物たち、そこで暮らすモゲールの人々。その中でふたりは一緒に歩いたり、遊んだり、詩を読んだりして過ごす。
ヒメネスの残した詩集「Platero y yo(プラテーロとわたし)」は、モゲールでの日常や自然、人々の姿を、共に過ごしたロバのプラテーロに話しかけるように描く138編の散文詩。1914年に初版発行、その後加筆され1916年に今の完全な形として出版されて以来各国の言語に訳され、子どもから大人まで世界中の幅広い世代に今なお愛されている。
日本は明治・大正の時代 スペインの詩人たちは既に俳句を始めとする日本詩歌に触れていた
ヒメネスの詩からみえるその影響をよみといていく
世界中で愛される詩「プラテーロとわたし(Platero y yo)」の著者であり、ノーベル文学賞受賞者であるスペインの詩人、フアン・ラモン・ヒメネス。この詩の舞台となったモゲール村と共に、日本詩歌も彼の詩に多大なインスピレーションを与えていた。この意外な事実を、ヒメネスの生涯や彼の人柄、モゲール村、日本と西洋の詩の概念の違いなどについて話しながら解き明かしていきます。
文学博士(比較文学)。神戸市出身。大阪外国語大学(現大阪大学)イスパニア語学科卒。ダブリン・シティ・ユニバーシティ客員研究員、大阪大学講師などを歴任。現在、関西大学講師。著書は『俳句とスペインの詩人たち』(思文閣出版)、『国際歳時記における比較研究』(共著、笠間書店)、『バルセロナ散策』(共著、行路社)など。訳書に『引き船道』(原著カタルーニャ語。共訳、現代企画室)がある。
ギタリスト。高校卒業後、渡仏。パリのエコール・ノルマル音楽院、パリ国立高等音楽院で学ぶ。その後キジアーナ音楽院で学び、4年連続最優秀ディプロマを取得。ハバナ国際ギター・コンクール第2位及び審査員特別賞受賞。NHK「トップランナー」「ららら♪クラシック」、MBS「情熱大陸」、テレビ朝日「題名のない音楽会」等出演多数。
メゾソプラノ。英国トリニティ音楽大学声楽専攻科修了。シェイクスピア時代のリュートソングでデビュー後、バロックの宗教曲、オラトリオ、オペラのソリストとして活躍。近年は作曲家の深い信頼を得て間宮芳生、高橋悠治作品の世界初演等、近現代の作品にも積極的に取り組む。NHK「BSクラシック倶楽部」「ニューイヤーオペラ」他出演。
銅版画家。1952年、埼玉県生まれ大阪育ち。京都市立芸術大学西洋画専攻科修了。都会的で軽快洒脱な色彩で、独自の銅版画の世界を確立。絵画に音楽や詩を融合させるジャンルを超えたコラボレーションを展開。数多くの書籍の装幀、挿絵を手がける。絵本やエッセイの著作も多い。近著に「詩画集プラテーロとわたし」がある。また、医療現場で壁画制作の創作にも活動の場を広げている。